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【すぐわかる】「嫌われる勇気」|重要ポイントをピックアップ

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今回は,「嫌われる勇気(著者:岸見一郎,古賀史健)」についての重要ポイントをまとめました.

 

この要約を見て気になった方は1度でいいので,この本を手に取って読んでいただきたいです.

 

重要ポイントの目次

 

トラウマ(やらない理由)の否定

できないのではなく,できないでいたい

「やれない原因があるから,やれない」ではなく,「やりたくないという目的があるから,やらない」のです.前者を原因論といい,後者を目的論と言います.私たちにはできないことはないですが,やらないだけです.

感情は道具

「感情に流されて叱ってしまった」という考えは否定します,感情によって自分をコントロールできなかったのではなく,感情を使用して相手より立ち位置を高く持ちたい,ひれ伏せたいといった目的があるのです.

何を与えられたのではなく,与えられたものをどう使うか

私たちの容姿や家族,人種や国籍,生まれた時の社会的地位は交換することはできないですが,更新することができます.そのような与えられたものは,自分自身がどう利用して目的の姿になるかを見るが重要です.

人はいつも「変わらない」を選択している

性格は変えることができないものであると思われますが,自分の見る世界観であれば変えることができます.私たちの性格や気質(ライフスタイル)は10歳までに無意識に選んだもので,天性的に与えられたものではなく,選んだものです.幸せになれないのは変化することへ不安を感じ,このままでいることを選んでいるからです.幸せになれないのではなく,幸せになる勇気が足りないのです.

 

全ての悩みは対人関係

自分のことを好きになれない理由

「自分を好きにならない」という目的があるから,「自分のことを好きになれない」のです.自分のことを好きにならない目的は,自分のことを好きにならないことにより対人関係を踏み出さないようにして他者から拒絶されないためです.

客観的な事実より重要なのは「主観的な解釈」

例えとして,自身が身長の小さい人間であったときに「頼りない,カッコ悪い」と思うか「親しみやすい,威圧感がない」と主観的に思うかによって与えられたものは変わります.全てのことにおいて,欠点の反対には利点があるのです.自身がどう見るかが重要なのです.

劣等感と劣等コンプレックス

劣等感とは,もっと良くしよう,もっと幸せになろうと思うことですが.劣等コンプレックスは,自分は身長が低いからモテないや自分は学歴がないから成長できないなどといったものである.劣等コンプレックスは本来因果関係の無いものに因果関係を与えてしまう原因論の根源です.

優越コンプレックス

自分が優れていることを誇示しないと他の人に認められないと恐れているのです.過去の成果や権威を振る人は今に自信がなかったり,今の自分に劣等コンプレックスを抱いている人であるのです.

不幸の自慢

自分に降りかかった不幸をまるで自慢するかのように話す人や「あなたに私の気持ちはわからない」と語る人は不幸を特別であることへの武器として使っているのです.

人生は他者との競争ではない

「健全な劣等感」は,他者との比較の中で生まれるのではなく,理想の自分との比較から生まれるものである.私たちは誰もが違うが,対等であるのです.今の自分より前に進もうとしてればいい,他の誰かをライバルなどと思う必要はないです.

他者は全員味方

対人関係の軸に「競争」の存在があると対人関係の悩みに逃れることはできないです.ライバルという考えからがあるといつの間にか他者全員を「」だとみなすことになるのです.人々は私の仲間であることを実感できていれば,世界の見え方は360°変わるのです.

権力争いと復讐

もし他者に罵られたのならば,相手の隠し持つ「目的」を考えることにより,相手が自ら勝つことにより自らの力を証明したいことを見つけるのです.仮に,この権威争いで勝ったとしても,相手は次の段階の「復讐」に移ります.その場で勝つことよりも,復讐のデメリットの方が大きいのです.

非を見とめることは,負けではない

例え相手が間違っていたとしても,相手が正しいと認めることは負けではないです.自分が正しいことを自分が分かっていれば,なんの問題もないのです.

 

他者との課題分離

承認欲求の否定

自分は「他者の期待を満たすために生きているのではない」です.他者からの期待など満たす必要はないのです.親の期待通りの人生を歩もうとする人も間違っているのです.相手が自分の思い通りに動かなくても,怒ってはいけないのです.私もあなたも他者も自分の人生を生きているのです.

他者と自分の課題分離とは

例えば「勉強」をすると課題があったときにそれは誰の課題なのか?という観点から考えます.母親が宿題をしない子供を叱ることがありますが,これは親が子供自身の課題に土足で踏み込むという最悪の行動であるのです.他者とのトラブルは全て他者の課題に対して土足で踏み込むことにより起こることです.課題の分離を見分ける方法はシンプルであり,その選択によりもたされる結末を最終的に誰が引き受けるのか?と考えればいいのです.仮にAさんに嫌われていたとしてもそれを選択するのはAさんであり,その選択の結果を受けるのは私ではなくAさんののです.今の私にできることは,悩むことではなく,Aさんの選択を変えることだけなのです.それを悩むことは,Aさんの課題に踏み込んでいるだけに過ぎない.私たちは馬を水辺に連れて行くことはできるが,水を飲ませることはできないのです.

対人関係の悩みを全て解決する方法

人生について私たちができるのは自分の信じる最善の道を選ぶことだけです.その選択について他者がどのような評価を下すかは,他者の課題であり,あなたにはどうにもできないのです.「あの上司がいるから,仕事ができない」というのではなく,「仕事をしたくないから,嫌いな上司を作り出している」のです.できない自分を認めたくない目的があり,そのために嫌いな上司を作り出すのです.他者の課題には介入せず,自分の課題には誰一人として介入させない

常識へのアンチテーゼ

相手がどんな働きかけをしてこようとも,自分がやるべきことを決めるのは自分です.見返りに縛られる人は相手を縛り,自分を縛るのです.困難に直面した時に逃げ出す人は,今後もあらゆる困難から逃げ出すのです.

承認欲求は不自由を強いる

私たちの承認欲求とは,誰からも嫌われたくないということじゃないでしょうか.他者の期待を満たすように生きることをは,自分に嘘をつき,周囲の人に対しても嘘をつき続けることなのです.

自由とは他者から嫌われること

「あらゆる人から好かれる人生」と「自分のことを嫌っている人がいる人生」を選ぶなら迷わず,後者を選択するのです.他者にどう思われることをよりも,自分がどうあるかを貫くのです.

 

世界の中心はどこか

対人関係のゴールは「共同体感覚」

他者を仲間として見なし,そこに自分の居場所があることを感じることが共同体感覚です.

あなたは世界の中心ではない

私は世界の中心に君臨しているのではなく,私は人生の主人公でありながら悪目でも共同体の一部である.他者はあなたの期待を満たすために生きているのではないのです.共同体の一部であることを実感するために,私はこの人に何を与えられるのか.この共同体に何を与えられるのかを考えるのです.所属間とは生まれながらに与えられるものではなく,自ら手にして行くものであるのです.

共同体の最大範囲は無限大の大きさ

私たちが所属している共同体は例えるなら学部生>学生>人間>生き物>宇宙>全範囲のようになっているのです.また,学生だけの共同体ではなく,家族や趣味の仲間,バイト仲間などあらゆる所の共同体の一部であるのです.人間社会という範囲の共同体で考えた時に,理不尽な要求を突きつけられたなら,どんな人であっても正面から異を唱えていいのです.異を唱えて壊れる関係なら最初から結ぶ必要もないのです.関係が壊れることを恐れて生きるのは,他者のために生きることであり,不自由な生き方であるのです.

叱っても褒めてもいけない

アドラー心理学では,対人関係は対等であるものだとします.叱ることはもちろん対人関係が盾であることは明確です.加えて,褒めるということは,能力がある人がない人を評価するということ側面を含んでいるのです.我々が使う飴と鞭(叱ると褒める)は,相手を自分の思い通りにするという目的が隠されているのです.

勇気づけ

私たちは他者の課題に介入するのではなく,援助する必要があるのです.子供の勉強を例に取ると,勉強しなさいというのは介入ですが,あなたは勉強ができると自信をつけさせるのです.親子関係も常に横の関係であり,こうした援助のことをアドラー心理学では「勇気づけ」と呼んでいます.

自分に価値があると思えるため

横の関係の具体的アプローチは,素直な喜びを伝えること感謝の言葉を伝えることです.子供に部屋の掃除を手伝ってもらった時に「よくできたね」評価するのは,アドラー心理学では縦の関係を持っているため起こるものであるのです.妻が夫に掃除を手伝ってもらった時に「よくできたね」と評価するでしょうか?この場合,「ありがとう」と感謝を伝えると思います.重要なのは,相手を評価しないということなのです.また,感謝を伝えられた時人は「自らが他者に貢献できた」と感じるのです.人は自分に価値があると思えたときにだけに,勇気を持つのです.

ここに存在しているだけで価値がある

自分のことを行動のレベルからではなく,存在のレベルから受けれるのです.母親が生きているだけで自分を感謝するように,私たちは生きているだけで誰かのために必要な存在になっているのです.

今を生きる

 

自己肯定ではなく自己受容

自己肯定とは,できないのに自分にはできる,私は強いと自ら暗示をかけることです.それに対して自己受容とは,仮にできないとしてもできない自分を受け入れ,できるようになるべく前に進んでいくことです.変えられるものと変えられないものを見極めるのであり,変えられるものに注目することが自己受容であるのです.

信用と信頼の違い

信用とは,クレジットカードの登録のようにお金を返済できるなら貸すというような,Aがあって信じることです.これに対して信頼とは,条件を付けずに信じることです.そして,他者信頼することが必要なのです.この時私たちは「誰かを無条件で信頼したところで,裏切られるだけ」と思っているかもしれませんが,他者が裏切るか裏切らないかは他者の課題であり私の課題ではないのです.私は私がどうするかを考えればいいのです.ですが,この無条件の信頼とは全ての人を信頼するのではなく対人関係を良くするための手段の一つです.ただ,信頼することを恐れていたら,誰とも深い関係を築くことはできないです.他者と関係を築くときも自分ができることとできないことを明確にする必要があるのです.

仕事の本質は他者貢献

共同体感覚には,自己受容と他者信頼と他者貢献が必要になります.他者貢献とは,私を捨てて誰かに尽くすのではなく,私の価値を実感するためになすべきことである.

ワークホーリックの嘘

攻撃してくる「その人」に問題があるだけであり,決してみんな悪いわけではないです.「みんな」「いつも」「全て」という言葉を使う人は人生の調和をかけた生き方であるとアドラー心理学ではいいます.ユダヤ教の教えで「10人の人がいるとしたら,そのうち1人はどんなことがあってもあなたを否定する.あなたを嫌ってくるし,こちらもその人のことを好きになれない.そして10人のうちの2人はお互いの全てを受け入れ合える親友になれる.残りの7人はどちらでもない人々だ」という.また,ワークホーリックの人は,仕事を口実として他の責任を回避しているのです.会社での仕事とはあらゆる仕事のほんの一部に過ぎず,自分を後遺のレベルでしか受け入れられていない人生の調和にかけた生き方であるのです.

人は今この瞬間から幸せになれる

人間にとって最大の不幸は,自分を好きになれないことです.他者貢献とは,身に見える貢献ではなくてもいいのです.私は誰かの役に立っているという貢献感を持っていればいいのです.すなわち,幸福とは貢献感であるのです.このことからわかるように承認欲求は貢献感を得る手段の一つであり,承認欲求を通じた貢献感は他者のために生きていることなのです.自己受容と他者信頼,他者貢献ができていれば,承認欲求などいらないのです.

人生は連続する刹那

私たちは「今,ここ」にしか生きることはできないのです.それゆえ,計画的に人生を歩むこと不可能なのです.幸せの頂点に達するために生きるのではなく,ダンスを踊るかのように今を充実させればそれでいいのです.

「今,ここ」に強烈なスポットライトを当てる

私たちは「今,ここ」に強烈なスポットライトを当てていたら過去も未来も見えなくなるのです.言い換えると「今,ここ」を真剣に生きていたら過去や未来を見る暇がないのです.

人生に意味を

自分の人生の意味は自分自身が決めるものなのです.そして私が人生を迷っているのならば,自由になればいいのです.また,人生を自由にするための導きの星は「他者貢献」なのです.私から見える世界を変えるには,私が変わるしかないのです.